新渡戸稲造とは About Inazo Nitobe
「武士道」を世界に広めた国際人。
女性の自立支援にも大きな功績
かつての五千円札の肖像としても有名な新渡戸稲造。
日本の精神文化を英語で紹介し、世界的ベストセラーになった「武士道」の著者としても知られています。
1920年には国際連盟の事務局次長を務めるなど、国際人として世界平和に尽力しました。
一方で女性の教育にも力を注ぎ、新渡戸文化学園の前身である「女子経済専門学校」の初代校長にもなりました。
このように、近代日本の幅広い分野で大きな足跡を残した新渡戸稲造先生。
その思いをしっかりと受け継いでいるのが、新渡戸文化学園なのです。
多彩な顔を持つ近代日本の巨人
新渡戸稲造
農学者であり、教育者であり、国際人。それが新渡戸稲造博士。
マルチな才能を発揮し、日本の近代化に大きく貢献しました。
農学者として
- 日本の農学博士の先駆者
- 札幌農学校教授
- 台湾にて糖産業の発展に尽力
教育者として
- 新渡戸文化学園初代校長
- 東京女子大学初代学長
- 京都帝国大学・東京帝国大学教授
国際人として
- 世界的ベストセラー「武士道」
- 日本人初の国際連盟事務次長
- ユネスコ前進となる組織を設立
学園校長としての
新渡戸稲造先生
校長就任時のお話
新渡戸稲造博士が初代校長に就任した際、次のように語っています。
「尊い人の魂を自由に伸ばさせるには、愛の教育を基調とせねばならぬ。
親心をもって教える教師による愛の学校でなければならぬ。
生徒をかわいがることによって、叱る以上の効果を上げねばならぬ」
この言葉を受け継ぎ、新渡戸文化学園は、生徒一人ひとりの人格を尊重した教育を実践しています。
学園での最後の朝礼
新渡戸稲造先生は、1933年7月にカナダに発つ前の学園朝礼で次のように話しました。
来月の初めにカナダで開かれる太平洋問題調査会議に出席する。
これから暫くお目にかかれないので、人間の後光の話をしたい。
何だか後光が放っているような明るい気分の人がいるという学校でありたい。
先生と生徒は敬愛の念でいてほしい。
お互いがお互いの関係を守っていけば、私の帰る頃には学校中が後光でまぶしくて入れないかもしれない。
早ければ9月・10月には学園に戻りたい。
では次にお目にかかることにしましょう。
残念ながら同年10月16日に新渡戸先生はカナダで逝去され、学園での最後のお言葉となりました。
新渡戸文化学園が生徒と先生の距離が近く、お互いに笑顔あふれる信頼できる関係でいることを大切にしているのは新渡戸先生のこのお話が原点になっています。
キャラメルエピソード
子どものことが大好きでいつもポケットにキャラメルをしのばせていた新渡戸稲造先生。
先生がいつもキャラメルを持ち歩いて子どもたちに配っていたことから「キャラメルおじさん」と呼ばれていたエピソードがあります。
コミュニケーションが大切なのだ。
そこで近所の子供たちと仲良しになるためにね、私はいつもポケットにキャラメルを忍ばせていたよ。
それが心の橋渡しとなってくれた。
だから私は“キャラメルおじさん”と呼ばれていたのだよ。
嬉しいね。しゃがんで、同じ目線で会話しないと通じないんだね。
人はその威厳で慕われることはない。
また、その高名さで親しみやすさを得られることもないものだよ。」