今日(3週目)のラボは、最初から“ざわざわ”していた。
「これやってみていいですか?」
「前回の続きなんですけど、このアプリ試したいんです」
「オリジナルキャラもっと変えたいんですけど」
とにかく、あちこちから“やりたい”の声が飛んでくる。
僕はそれを受け止められるものだったとき「それ、いいじゃん。やってみよう」と、場が勝手に動き始める。


自分で材料を買ってきて作業する子もいれば、
「パソコンの方がかっこいいから調べ物はこっちで」と言いながら黙々と進める子もいる。
それぞれが、自分のペースで、でも確かなリズムで作り続けている。


3Dに挑戦していた中1の子は、思うようにいかず手が止まっていた。
僕が』「失敗をここではしていいよ!!それも全部見るし、失敗してからの方が一回でうまくいくより絶対いいものできるよ!!」と言ったら、近くにいた生徒が振り返って付け加えるように言った。

「え、俺なんて失敗めっちゃしてるよ?半分も成功してないし、なんさ、でもさ、それで次どうするか考えられるじゃん。」
その言葉に、固まっていた子の手がまた動き出した。
「そっか、そうじゃん!なら作ってみよう」と。


その流れを遮るように指示を出す必要はなかった。
失敗したら隣の誰かが何か言う。
僕が最適な答えを持っていなくても、誰かが道具を差し出したり、やり方を教えてくれたりする。
発泡スチロールで武器を作っていた子が角をきれいにしたいと言ったときも、
僕が方法を探している横で、いつも場を使ってくれている大人が
「これ使ってごらん。汚れないやり方もあるよ」と自然に教えてくれた。
僕が完璧である必要のない場。
誰かの失敗が止まる理由にならない場。
そこにいる全員が、誰かの“次の一歩”のきっかけになれる場。
今日のラボは、まさにそんな空気で満たされていた。
この日、撮影に挑戦したいと言っていた生徒が一人いた。
自分から「今日は撮ってみたい」と言い出したので、撮り方のヒントだけ伝えて、あとは任せてみた。
上がってきた写真には、僕が撮るのとも先生が撮るのとも違う、
“同年代が覗き込む距離感”がそのまま写っていた。
もう一人のカメラ担当は遅れてきたので、次回から。
でも焦る必要はない。
撮りたい場になっていれば、写真は自然と立ち上がるから。


ふと気づくと、今日のラボは“遊び”と“探求”の境界線がぼやけていた。






誰も「学んでやろう」としていない。
でも、やっていることは限りなく探求に近い。
うまくいかない → 試す
試したら → もっと良くしたくなる
横から声が飛ぶ → またやりたくなる
その循環を止めるものが何もなかった。
場所がVIVISTOP NITOBEだから、というラベルを強調したいわけじゃない。
ただ、今日の空気を見ていると、
場や環境が生徒自身を変えることが本当にある
と実感させられた。
僕がすべてを導いているわけじゃない。
でも、この場所では、不思議と勝手に“進んだり止まったり”が生まれる。
生徒同士の言葉が風みたいに通り抜けて、次の行動を押していく。
その連鎖を耳で感じながら僕が立っていたことは
今日の心地よさとちょっとした嬉しさだった